「は〜…今日の訓練は疲れたな〜…」

 てくてくと、バベルの廊下を歩く明が伸びをしながらそう呟いた。

「おなか空いた〜…」

 明の左手側に並んで歩きながら言う初音。

「家に帰るまで我慢しろよ…。
 それとも何か軽く喰うか?
 確かお徳用ジャーキーがあったはず…」

 ロッカーに入っているカバンの中身を思い出しながら言う明。

「ん〜…多分大丈夫だからいいや」

「そうか?
 無理して暴走するなよ?」

 最悪の事態を想定して明は言った。

「うん。
 足りなかったらそれ喰べるよ」

 女子更衣室の前で足を止め、明へ言う初音。

「わかった、それじゃロビーで待ってるからな」

 そう言って明は男子更衣室へと足を向ける。

「うん。
 またあとでね〜」

 明の背中を眺めつつ初音は言い、くるりと回って女子更衣室へと入って行った。






もののけ王女






「………遅いな…」

 初音と別れて30分ほど。
 明はロビーの椅子に座って初音を待ち続けていた。

「シャワー浴びるにしても遅すぎだろう…。
 何やってんだあいつは?」

 テーブルに突っ伏し、空になった紙コップを指で回しながら言う明。
 既に明は、ドリンクサーバとテーブルを三往復していた。


「おまたせ〜」


 ようやく戻って来た初音。

「遅いぞ初音。
 お前、腹減ってたんだったらさっさと帰る支度しろよ…」

 30分以上待たされて、疲れた様子の明が言った。

「ごめんごめん。
 でもお腹はもう空いてないから大丈夫」

 何処か上機嫌で言う初音。

「へ?
 お前、何か喰うモノ持ってたっけ?」

「ううん、貰ったの」

「貰った?誰に?」

「色んな人に」

「は?」

 初音のセリフが理解出来ない明。

「ねぇねぇ、早く帰ろうよ」

「あ、ああ…そうだな…」

 納得のいかない明であったが、初音の言葉に従い家路へと向かって行った。




「なぁ初音…さっきの話なんだけどさ」

 夕食後のまったりとした時間、先ほどから気になっていたことを口にした。

「さっきの話?」

「『色んな人から喰うモノ貰ってる』って奴だ」

「ああ、あれ?」

「そう、それだ。
 なんだ、更衣室でお菓子を分けて貰ってるのか?」

 一番に思い浮かんだ可能性を聞く明。

「ううん、違うよ」

「違うのか?
 じゃあどうやって貰ってるんだ?」

「分けて貰ってるんじゃなくって、お礼として貰ってるの」

「お礼?なんの?」

「これ」

 そう言って初音が差し出したのは自身の左手。
 明に手を開いた状態で差し出して来た。

「手?」

「うん、見てて」

 初音の言葉に明が左手を見ていると、初音の左手が少しずつ変化していった。


ざわ…ざわざわざわ…


 昔から聞き慣れた独特の音。
 それは初音がケモノへと変化していく時の音であった。
 そして初音の左手は完全にケモノへと変化した。
 初音の左手が変化したケモノ、それは…


「………犬の足?」


 そう、犬の足である。
 と言っても普段初音が変化しているようなリアルでシャープなモノではなく、アニメに登場するような丸っこくデフォルメした犬の足であった。

「うん。
 これのね、肉球をぷにぷにさせてあげる代わりにおやつを貰ってるの」

「…楽しいのか…それ…?」

「わかんない。
 でも、みんな『癒される〜…』とか言って気持ち良さそうにしてるよ?」

「…『みんな』ってことは結構する人が居るのか?」

「うん。
 最初は姐さんたちがしてみたいって言ってたからやったんだけど、
 それを見た柏木さんとか、ナオミさんとか、ダブルフェイスの人とかがやりたいって。
 でも、片手だけ変化するのは全身を変化するより疲れるから、お礼に食べ物貰ってるの」

「あ〜…。
 そりゃ更衣室で暴走されたら大変だしなぁ…。
 だから最近遅かったのか、なるほどな…」

 ようやく納得のいった明。

「でもな、だからって遅くなるのは感心しないぞ。
 俺は今日30分は待ってたんだからな。
 今度からはもうちょっと早く切り上げて来いよ?
 それと、女の人相手だったらいいけど、男にはさせるなよ?
 世の中には変なマニアがいるから、付き纏われたりしないとも限らないし」

「うん、わかった」

 明の言葉に、素直に頷く初音。

「にしても、それってそんなに気持ち良いのか?」

 未だに犬の足に変化したままの初音の左手を見て明が言った。

「みたいだよ?
 柏木さんなんか、ほとんど毎日ぷにぷにしに来てるし」

「へぇ〜…」

 柏木さんって結構可愛い物好きなんだよな…と、自身がアザラシに入っていた時の朧さんを思い出しながら言う明。

「明もやってみる?」

「いいのか?」

「うん。
 明にはいつもゴハン作って貰ってるから、お礼とかいらないよ」

「じゃあお言葉に甘えて…」

 明は恐る恐る初音の手へ指を伸ばして行く。


ぷにっ…ぷにぷにぷにぷに…


 固過ぎず、軟らか過ぎず、適度に弾力のある感触が明の指に伝わって来た。

「おぉぅ…。
 これは確かに気持ち良いな…」

 目を細めながら指で肉球を突付き続ける明。

「指だけじゃなくてね、頬擦りする人も居たよ」

「ほ、頬擦り…こんな感じか…?」

 初音の手をそのまま自分の頬へ持って行き、すりすりと頬擦りをしてみる。
 頬に肉球の感触が直に伝わり、なんとも言えない気持ち良さが広がっていく。

「あ〜…これは病み付きになるのもわかるなぁ…」

 尚もすりすりと頬擦りを続けながら言う明。


「………なんか違う」


 肉球に頬擦りしたままの明を見ながら呟く初音。

「ん?どした?」

「明が肉球をぷにぷにするなら、こっちのほうが似合うと思う」

「へ?」

 意味がわからないといった明をそのままに、左手を明の頬から離す初音。
 そして再度左手を変化させるべく、左手に力を込める。


ざわ…ざわざわざわ…


 再び変化していく初音の左手。
 今度は手首から先だけでなく、ひじの辺りから変化して行った。
 その変化は先ほどまでのデフォルメされたモノではなく、攻撃に特化した太さと鋭さを持った白毛のケモノの腕であった。


「コレで、こう」


ガシィッ!!


 ケモノの腕が明の頭を掴む。
 その姿は、プロレスで言う『アイアンクロー』その物であった。

「うわっ!?」

 突然のことに驚く明。

「明はこっちの方が似合うと思うよ」

「なんだそりゃ………って、なんか懐かしい感じがするな…」

 頭を掴まれたまま、ぷにぷにと肉球に触る明。
 その体勢に、何処か既視感デジャヴュを覚えたらしい。


「やっぱり『』と『肉球』って言ったらこうだよね。
 あ、『』と初音だったら、足から血を飲むほうが癒される?」


「あながち間違っちゃ居ないけど、根本的に番組が違うわっ!!
 そもそも、そっちはその字じゃなくて『おおざとへん』の方の字だからっ!!」


 初音の言葉に、『アイアンクロー』をされたまま叫ぶ明であった。



(終われ)


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